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新説・セミの一生

2010年08月24日 17:20

成虫になって
一週間ほどで生命を終える
セミに関して。

せみ


幼虫から比較した
生存期間に対し
昔から人間は
“はかない...”と、
憂いています。


ボクはそれは、
人間のタイム感こそが
正しい...という
前提で語られていて、
一方的で好きじゃない
考え方だなと
思っていました。


先日。

突然、目の前の木で
みんみんゼミが
鳴き始める。


鳴き声を聴いていて
ふと、
思ったのだ。


みんみんゼミの鳴き声は、
楽器で使われる
フェイザーや
フランジャーという

空間系と呼ばれる
エフェクターを
使用したサウンドと
非常に似ています。
(というか、まさにそれ)


この空間系と呼ばれる効果。


太古では神様との
仲介役であるシャーマンや、
お経、宗教音楽、
ほとんどの民族楽器で
意図的に作り出される
効果でもあり、

人類が
大昔から開発していた
音響科学です。


それはときに
覚醒を促したりもします。


そこで、セミの一生
成虫期に関して。

学術的には
お腹の中の空洞を利用し
オスが女史を呼び出す
手段として鳴く、
とのことだが、


それ以前に
自身の身体から、
覚醒音を鳴らす
という行為。


ときに、鳴いているとき
セミの魂は
実はものすごい
深いところへ
行っているのではないか。
空間をねじ曲げ
人類が
ずっと求めている
宇宙観の果て
のような場所へ。

set me free!って。
(セミフリー!)

もとい、

例えば、最近は
夜中もセミは
鳴いているけど

あれは
崩れかけている
世界の均衡を
整えようとしている
のではないだろか?


原作版「風の谷のナウシカ」で
オームがしてくれている
ようなことです。



まぁ、少なくても
あの鳴き声は、
当人(当蝉?)の時間軸に
影響しているのは
間違えねぇんじゃないかなと
思うんですね。

(↑最後は吉本隆明ぽく)
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舵取りと感情論

2010年06月10日 12:23

最近、イラっとしたり
誰かや何かに感心したり
するとき


オレはこんな風に想うのか


自分の感情を
客観視していることに
客観的に気づきます。


そうしているうちに

今のところ
辿り着いた
思考のひとつとして


批判精神のようなものは

残念ながら

100%、おのれさんへ
向けていること
なんだなぁ、と。


さらに
これはもう
残念なことですが

それらの多くは

気づいたら
なるべく
自分の心のうちの
出来上がりを
デフラグしろ、
という

指令装置が
備わっているのでは
ないか、と
思うのです。


そして
・次回に持ち越す
・サシで語り合う

この選択のどちらかに
似たものを
実行するかで

自分自身が
現在よりも
生きやすくなるか?

に、
影響をオヨボス。


また
「次回に持ち越す」
ことを、いわゆる
‘逃避’だと
考えないことが
ミソで

どちらが正しい!
という前提で行うと
この作業は
ブレてしまいがちです。

ブレると
なにかと面倒です。


また、ときに

「こいつのここはダメだろう」
というような

圧倒的なイヤな奴と
関わったときなどは

自分のハートに住む
中世・スペイン人宣教師が
(↑偏見を踏まえた比喩)

「自分はこういう人に
ならないようにしようYO!」


反面先生として
啓蒙をしはじめます。


そんな先生方は
大抵、最もなことを言い
なにかと頼りになる
ものですから

「いいこと言うよね、あの先生
ワタシ好きかも」
と、ついつい
彼のゼミに入ってしまいがち。


しかし、
反面教師は宣教師。

いっしょに鉄砲を
伝来する
可能性があります。


ココロのなかの
信長が、ついつい
買ってしまうかも。

または
教会(ゼミ)のしがらみにより

白人とペアになって
ヘルメットをかぶり
チャリに乗って、カタコト
「エイゴ、ナライマセンカ?」

街を廻らなくては
ならなくなるかも。

やはり
いずれにしても
注意が必要です。


話しがやや
逸れましたが


大切なことは
感情というのは

ジブンという
一隻の船の
舵取り役であって
船長ではない
と、いうこと。


頼りにはするが、
決めるのは
あくまで
ひとのこころ
です。

「♪友達100人できるかな」考察

2010年05月25日 12:11

最近は
日々めまぐるしくも
時間を縫うように

友人たちに
会う時間を作っています。

かつての職場なかま、
音楽をしていて出会った仲間、
高校の同級生、
小笠原の友人。
(↑ここは家族といえる)


スケジュールが合わず
なかなか会えない
ひともいるけど、

しっかり
つながっていると
信じられるひともいます。

彼らはみんな
宝物です。


ところで、

一年生になったら
友達100人できるかな?

この唄が
子供の頃から
?でした。

なんていうか…
早生まれのしんじくんには

「それノルマですか?」
的な。

はたまた
「どうして100人できなかったのぉ?びっくり」

言われそうな
煽られ感。保安官(不安感)。

まぁ、実際は
ハート、開いてこうぜ!
などの
ニュアンスなのか。


しかし
歳を重ねてなおさら
この、根拠なき数字と
楽曲のコンセプトワークには
疑問を感じます。


そして
前に述べたように

100人とかの
デジタル単位でなくとも

自分には
時間を経ても
同じ時代に生きる
名前を持った友達が
ちゃんといまして、


ぼくの心のなかにいる
れんほう、みたいなのが


「目標数値を
掲げなくても結構。
予算(ハートのエネルギー)
だして行きまっしょい」

と、
テレビを意識したように
仕分け作業をしてくれまっしょい。


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